• 受講生インタビュー

共創コーチングの始まりとこれから(前半)

PROFILE
共創コーチング株式会社 代表取締役
稲垣 友仁(いながき ともひと)

金沢大学教育学部卒業後、三重県公立中学校教諭、小学校教諭を経て、三重県教育委員会へ出向。その後、14年間勤めた公務員を退職し、教職公務員からプロコーチへの転職第1号となる。

日本にコーチングが導入されたコーチング元年(97年)からコーチングを導入し、問題児の個性を活かして才能を開花させる奇跡のコーチング手法で、これまでに500人以上の子ども・親に対してコーチングを行なってきた。教育現場を熟知した本格コーチとしては、国内随一の実績を誇る。

現在では、各都道府県教育委員会・行政機関・各教育現場に対してコーチングの講演・導入アドバイザーとしても活動中。講演・プロデュース数は年に100本を越え、10,000人以上の教育者・学生達に対してコーチングを伝えている。中学校教諭時は、サッカー三重県代表U-14のコーチも務める。

宇都宮大学大学院工学研究科 非常勤講師「共創コーチング特論」
三重県教育委員会「教育コーチング推進アドバイザー」(2007年・2008年)

現在コーチとしてどのような活動をおこなっていますか?

 主に企業のリーダーのコーチとして活動しています。

 リーダーが自分のチームをうまくマネジメントできるよう、そのリーダーのリーダーシップや育成力について研修したりコーチングしたりして総括的にサポートしています。
現場では、リーダーひとりひとりの力だけで結果を出す事は、なかなか難しいので、組織全体の風土改革などのお手伝いも行っています。僕自身が組織開発に興味があり、人を活かす、ウェルビーイングな、より良い組織を目指しているリーダー・組織のサポートを行っています。

  元々、公立小・中学校の教師をしていました。勤務していた地域には「すごい先生」がたくさんいて、学力・家庭環境などの格差のある子どもたちをまとめ上げ、見事に成長させていくのです。それだけでなく、荒れていた学校も修正され、全国から見学が来るような学校に変わっていきます。そういう状況を目の当たりにし僕自身大きな影響を受けました。そこでの教育実践の学びは、今現在の自分自身の活動や企業への活動にも使わせていただいています。

●「すごい先生のインタビュー」記事↓
https://coaching-syst.co.jp/2008/07/29/6015/

 僕は教育や人材育成に関わる人は、「実践」と「研究」の二つをバランスよく扱う事が大切だと考えています。両方を常に意識する事。例えば、主にアメリカやヨーロッパの心理学や経営学には、様々なエビデンスが報告されており、すでにある環境下でうまくいく方法があるのです。その智慧を利用し、あとは日本の現場でうまく行っている方法と掛け合わせながら、確率の高い教育スキルを目の前の状況や目的に応じて提供し、その結果を検証しながらフレキシブルに現場では変えていく姿勢が最も大事だと考えて取り組んでいます。

 また僕は企業だけではなく、教育関係のコーチング研修もたくさん行わせていただいています。保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学・専門学校、塾などで教育に携わる教員向け、そして、その保護者向けにも講演を行っています。
主に、ポジティブ心理学やパーソナリティ心理学の部分に興味があり、非認知能力やメタ認知のことなど最新の研究とコーチング実践を結び付けて、講演や研修で紹介しています。

  僕自身の教育の現場としては、宇都宮大学大学院工学研究科で非常勤講師として「共創コーチング特論」という授業を2006年から教えています。
●「共創コーチング特論」記事↓
https://coaching-syst.co.jp/2022/02/20/22386/

 また、宇都宮大学が主催する高校生向けグローバルサイエンスキャンパスという取り組みで、コーチングを活かした教育の研究にも携わらせてもらっています。
●「宇都宮大学のグローバルキャンパス「iP-U」記事↓ 
https://coaching-syst.co.jp/2019/09/02/20530/
主に「教育とコーチング」というキーワードをテーマに講演・研修活動も行っています。

コーチングとの出会いについて教えてください。

 きっかけは、1995年頃に流行ったCDサイズの絵本で、コミュニケーションをキャッチボールに例えて描かれた本との出会いが、僕をコーチングに導いてくれました。

 実は、僕が教員5年目の時、精神的に参ってしまう出来事がありました。当時は、中学の体育教員で、なおかつ、サッカーの三重県代表チームのコーチをしてた頃のことです。3カ月ほど休みが全く無く、問題行動を起こした生徒の家庭訪問をして帰宅すると、身体が動かくなってしまったのです。熱も大して無い、でも体が動かない。病院にいってもおかしなところは無いと言われて、これは精神的なものだと、学校を数日休み実家へ帰りました。
もしかしたら自分は精神的におかしくなってしまったかもしれないと思い、両親になかなか話せずいたのですが、3日目にやっと自分の思いを、泣きながら打ち明けることができました。両親はそれを受け止めてくれました。そこから、自分の人生の改革が始まったと思います。

 それまで僕は、受験も失敗がなく、ストレートで公立の教員になり、誰にも迷惑をかけない、良い子どもだったと思います。そのことが、今思えば僕は気づかないうちに色々とストレスを溜めこんでしまったのだと思います。

 その時に出会った本が、コミュニケーションをキャッチボールにたとえた本で、僕は体育会系だったので、「コミュニケーションとか、そんな甘いこと言っていたらダメだ、カッコ悪い」という考えでいましたが、この事をきっかけに、心の対話やコミュニケーションの大切さが、しみじみと僕の中に入ってきました。そして、学校に休みをもらって著者のセミナーを東京まで受けに行きました。

  セミナーの中で3ヵ月間続くプログラムがあり、「この期間のテーマを何にするのか」を運営ボランティアスタッフと11で決めていくセッションがありました。ボランティアスタッフは、公務員の仕事をしながらこのセミナーを手伝っている方でした。

 きっとこの人は僕に教えてくると思っていたのですが、いい意味で裏切られました。この方は、教えずに質問してくるのです。

 「最近の中学生ってどうなの?」「なんで、こんなところまで来てるの?」「へぇ~」なんて言って、興味関心を持って聴いてくれるのです。そうすると、僕もどんどん話をしていくうちに「あ、そうか、僕はこういう理由でここに来ているんだ」ってわかっていくんですよね。自分からリーダーシップを取るのが苦手、自分からコミュニケーションを取ることが出来ないと思っていた事に気が付き、思わず「自分からボールを投げれるといいんですよね〜・・・。」と何となく口から出た一言を捕まえて「あっ、それいいじゃん、うん、そのテーマいいと思うよ!」と言って、三カ月間のテーマが決まりました。

 そのとき、はっとしました。

 彼は、一言も教えずに話を興味深く聞くことだけで、僕に話をさせ気づきをおこさせました。そして、僕自身の言葉でテーマを言わせたのです。僕が探していたのはこれだ!この教育方法だ!と、先行きが大変明るくなったのを覚えています。それから、1年後に、このアプローチが「コーチング」という技術だったことを知ります。19969月のことでした。

コーチングを学び始めて、どのように現場で活かしてきましたか?

 コーチングを学び、中学校の学校現場で使っていましたが、最初は思ったような成果が得られませんでした。「やっぱり学校では無理なのかな〜」「コーチングは理想論かな〜」と、諦めかけていました。そんな中、コーチングを学び始めてから2年目に、やっとポイントを掴みます。

  僕が「コーチングを活かせたな、ポイントを掴んだ」と思った場面は、中学校の部活動でした。

 僕は当時サッカーの指導者をやっていて、「お前右だー!左だー‼」っと叫んでコントロールする指導スタイルをとっていました。そしてもう一人、僕と似たような歳のサッカー経験者の教師がおり、彼もまた、同じく叫んで選手を動かすタイプの指導者でした。
コーチングを学んでからというもの、彼が練習中に叫んでいる場面を見ると、自分の事は棚に上げて「これでは、選手が混乱してしまうよなあ」ということを感じ始めていました。

  そんなある日、いつもとは違う視点が目に入ってきました。ボールを扱うサイドにはいない選手が、相手を引き付けるような素晴らしい動きをしていたのです。
普段なら、「~がいい動きをしているので、見ろー」と叫んでいるのですが、その時は、どうしてそのような動きをしているのか、彼に聞きたくなりました。
そこで、全員を集合させて、みんなの前で彼に質問してみました。

「逆サイドで、~という動きをしていたけど、どうしてそんなことをしたの?」

すると、彼は、流ちょうにその理由を語りだしました。それを聞いていた、そのほかの選手達が「へー」と感嘆の声をあげました。いつもならば、その場で私が解説して教えているのですが、今回はそれを一切やめ、質問に徹しました。

 すると、そのあとの選手たちの動きがまるで違ったのです。水を得た魚のように動き回り、先ほど質問して答えてくれた選手のような動きを、何度もトライしていました。

 今まで僕が何度教えてもやらなかった選手たちが、仲間のたった一言で影響を受け、変化したのです。彼の言った事は、私たちコーチが常日頃から言っている事でした。感嘆の声を上げるほど真新しい発見ではないのです。

 この出来事から学んだ事は、僕は「教えすぎていた」ということ。教えれば教えるほど、選手の主体性を奪っていたのだと気が付きました。教えることをやめ、彼らに質問をし、彼らの言葉で語ってもらうことで、僕が教える以上のクリエイテビティが発揮される。
そこから僕は、あまり教えなくなりました。そして何より、この出来事からコーチングが使えるものに変わりました。

 もともと選手には主体性があり、それを大切にしてあげる関わりが大切だと気づいたのです。そのような関わりを続けていくと、さらに劇的な変化が訪れます。このチームは、自分たちでミーティングをするようになっていきました。

 夏の大会前のリーグ戦で負けた時、悔しくて泣きだす選手も出てきました。今までなら、負けると僕が一番悔しがっていたのですが、彼らに主体があるので、本気になってトライをし、悔しさもしっかり味わうようになりました。僕は、すべての責任を負いすぎていたのだと気が付きました。

 本当の意味で「任せる」という事。

 自分たちで考えて動くから、負けると悔しい、主体的になる。このチームは、強いチームにも互角に戦うようになり結果を出していきます。本人に痛みも解決も、本人の責任で体験させてあげるという事。そういう立ち位置を見つけてからコーチングを現場で使えるようになってきたように思います。

後半へ続く>>

*後編は「コーチとして公務員から独立」、「共創コーチング®の誕生秘話」などです。