- 受講生インタビュー
「今ここにあり続ける」先のことはともかく、話をはじめようか。
13年間デザイナーとして製品、インテリア、プロモーション等に関わった後、主に企業内起業家を支援する事務局として活動。 2017-2018年 はたらく×Cueファシリテーター / 2020年 ナゴヤをつなげる30人メンバー / 東海若手起業塾13期 星ヶ丘サイクリングスクール事業プロボノ / 2023年 共創コーチ®取得
簡単に、今のお仕事を教えてください。
会社員です。以前はデザイナーとして入社した後、社内起業家を育成する取り組みの事務局をしていました。今は、自分でプロジェクトを動かしているので、新規事業のプロジェクトリーダーと言ったほうが合っていると思います。
新規事業は新しい事に挑戦していくので、すべてが手探りで進んでいくため、本当に苦しい事が多いです。失敗も日常的にします。でも、その反面、たくさんの方の協力や助けを得て進んでいくので、そこが楽しい部分でもあります。例えば、「時間がない中、本当にすみません!でも、何とかしたいんです。できる方法を考えてください。」とお願いをする。そうすると、時間の無い中でも、「こんなにも協力してもらえるのか!」とこちらが驚くほどに、たくさんの方に力を貸してもらえる事もあります。苦しい事と楽しい事が半々です。
世間のたくさんの人と関わるわけなので、大切になるのがコミュニケーションです。基礎コースを学んだコーチングスキルそのものを、日常的に意識して使っています。
例えば、業務に関わるところではユーザーインタビューの場面で役立ちます。広げる質問、整理する質問など、「質問の4つの方向性」は、最高に役立つテクニックです。チームコミュニケーションの例で言うと、今の状況や将来目指す方向性など、お互いの認識を合わせる上で最初に大事になってくるのが、「承認」です。プロジェクトを動かしていると要望が出てきたり、厳しい事も含め色々意見を言われたりします。そんな時は、まずそれを承認する。そういう意見を持った、その方の想いと存在をしっかり認めることによって、一時の対立からお互いに共創にマインドが変化していくことは現場で実感しています。コーチングを学んでいて良かったと思う部分は、まさにここです。
プロジェクトを動かして行く上で、コーチングを活かされていますが、学びのきっかけはなんだったのでしょうか?
僕はもともとプロダクトデザイナーでした。デザインで様々な問題解決をするという事をしてきました。その頃はデザイナーが考え方を変えたり、良いコンセプトを作るだけで魅力が増したり良くなると信じていたのですが、とある有名なデザイナーの言葉と出会います。「統合的にやりなさい。物事の一側面だけ見て、一部だけやるのはよくない。全体で考えるのだ。」という考えです。やがて一人のデザイナーが解決できると“思い込んでいた”事は本当に少なく、根本的な解決には至らないと思うようになっていきました。たくさんの人と対話したり考えたりしながらモノを作っていく。それが根本的な解決につながると考えるようになり、そこからファシリテーションというスキルに興味を持つようになりました。
ワークショップを計画、運営したりやオープンディスカッションを促すために、イノベーション・ファシリテーターという認定をとって、対話を重視をしながらデザインするという方向へ進んでいきます。その頃同時に、新規事業の部署へ異動となりました。
新規事業では、「構想する」「計画する」というアイデアの部分に加えて、実行フェーズが色濃くなりました。前例のない中を突き進むので、個人負担が増え、乗り越えていくという「やりぬく力」や、起案し、それをやる人の「想い」がすごく大事だと気づかされました。一つの新規事業を形にするのに、大体5~6年、長いと10年単位でかかってしまうんです。それを一人で通してやり抜くのは本当に大変です。人との関わりや、巻き込んでいく事も必要になってくる。コミュニケーション能力も要求されます。となると、社内起業家を育成するインキュベーターとしては、ファシリテーションだけのスキルでは乗り切れないと気づきます。実行していく、動いていくというところへ意識が向いていきました。
そして、失敗を繰り返しチャレンジしていく起業家の活動とメンタル面のサポートをしたいと思うようになっていった事も直接的なきっかけです。
楽しい事より大変な事の方が多いですから、どうしてもやっているとだんだん視野が狭まってきて、広げる事が難しい。そのためにはより継続的なサポートとしてコーチングがいいんじゃないかと思うようになり、ファシリテーションからコーチングへと興味が移っていきました。
コーチングを学ぶにあたり、共創コーチングを選んだのはどうしてでしょう?
実は、共創コーチングを選んだのは名前です。イノベーション・ファシリテーターが何をするかというと、共創のリーダーをやるんです。ある意味サーバント型リーダーシップに近いです。先ほどのデザインのエピソードにもあるように、一人で何かを出来る事は少なく、人が集まるからこそ、「達成できる」「根本的な解決が出来る」ので、「共創コーチ」という響きはいいなと思いました。
ただ、当時金山にあったスクールで体験を受けてから、実際に基礎コースを受けるまでにブランクがあります。当時子どもが保育園に通っていましたから、毎日の送り迎えがあり、金山に通うのは難しかったんです。ところが、新型コロナウィルスの影響が拡大した際に、オンラインで受けられるようになったことによって学ぶチャンスが生まれました。
コーチングを、他にどんなふうに活かしていますか?
子育てに活かそうとしています。小学校4年生の息子は野球が大好きで、とても一生懸命頑張っているんです。彼は、「野球ノート」というものを書いています。A4サイズの市販野球ノートなのですが、残念な事に小学生用になっていません。朝何時に起きて何を食べた、練習は何時何分から何をやったか、観察記録のように事細かに書き綴るようになっています。自分を観察し客観視する事は大事ですが、小学生には分量が多く続かないんです。最初は彼も頑張ってびっしり書いていましたが、だんだん書かなくなり、当人の成長に全然寄与していない事がわかりました。書いた事によって何か進歩があればよいのですが、書く内容がエラーしたことなど、失敗経験に偏りがちになり、段々自信を失っているようにも感じていました。
そこで、コーチング的な観点から、書くことを4つだけに絞りました。最初に「今日やったこと」。次に「ちょっとうまく出来た、上達したと思ったこと」そして「なぜそう思ったのか」について書き、自己承認をさせる。
最初に承認をさせる事が大事でした。普通に一日の振返りをさせると「今日は空振りいっぱいしたな」って、できなかった事だけを思い出してしまいがちです。そうではなく一番最初に、「できた事」にフォーカスして、とにかく書けるところを探すという事をさせています。今は「良いと思ったところ」を1つにしていますが、慣れてきたら3つにしたいですね。
最後に「監督・コーチに教わったこと」「次にする事・次の目標」を書いて、行動に繋げる。息子は、毎回最後の目標をバッティングって書いてます。結局バッティングじゃん!って、父である僕は、内心思ってますけど(笑)。この流れだとまだ行動の振返りが出来ていないので、コーチングを役立て改良していきたいです。
コーチングの良さについて、何かお話いただけませんか?
コアコンピテンシーに書かれている「今ここにあり続ける」という考えが、すごいなと思っています。コーチングは、目の前にいるあなたを尊重するという事、そこから始めますよね。その姿勢が、僕が今まで生きてきた人生の中には、すごく少なかったと思います。
日本だからなのかもしれませんが、組織のルールや慣習というものがあり、「べき論」みたいなものが先で、それを前提とした行動やあり方を考えるケースとよく出会ってきました。就職したり、学校へ行ったり、何か組織に入るとガッ!と多量に様々なものを押し付けられる瞬間があって、個人が尊重されない事が多々あると思います。この令和の時代になって、そのあたりはやや良くなってきているとは思いますが、今そこにいる「あなた」を尊重するコーチングの姿勢は、とても大事だと思いますし、そういう精神を広めたいです。
例えば、お父さんだから、お母さんだから、大人だから子どもだからとか、40歳だからとか、我々としましては…みたいな立場という概念。コーチングは、少なくともそういうものを取り払おうとします。クライアントはひとりの人になっていく。そのままの自分を承認する時は、良くも悪くも「立場」を纏っていた自分を失う瞬間でもあります。理想の父親・母親像、役職とか、そこに収まる事の納得感というものがあるとしたら、それを失う事にも触れる。そういう事も大事かなと思います。
何か目標を達成して、それを共に喜ぶという事も大事だと思いますが、いまの日本社会はそれをまっすぐ目指すような「アメリカンドリーム」の社会ではないと思います。目標達成も大切だけれど、みんなずっとぐるぐる悩んだりしているんじゃないかなと。それでもいいから「いま」を話せる方が大事なことだと、コーチングを通して日々感じています。
今後の目標、興味のある事はどんなことでしょうか?
コミュニケーションを磨きたいと思っています。最近、地域のコミュニティセンターに行くことが増えたんですが、このコミュニティセンターは、大体70代くらいのご年配の方が中心となって運営しています。そこでは、コミュニケーションがすごく生き生きしているんです。
運営の方々が率先して、「それやってあげるよ」って世話役を買って出る。今の時代から考えると、昭和っぽい昔風のコミュニケーションかも知れません。
でも、勢いがあって闊達な感じです。こういう公共の場で何かをやろうとすると、みんなが助けてくれるんですよね。みんながわぁ~っと集まって来て、手前味噌で色々持ち寄ったり、何も持っていないからこそ、周りからの協力を得てみんなで出来るという形が生まれる。善意の、個人から湧き上がるコミュニケーションの掛け算というのでしょうか。
令和の時代のコミュニケーションは、平成も、でしょうけど、だんだん暗く遠慮がちになっていっちゃったんじゃないかなと感じる事があります。だからかもしれませんが、僕はこのコミュニティセンターから得た気づきが、すごく面白いと思いました。
もしかすると、営利としての活動では、ここまでのコミュニケーションは生まれないのではと思います。商売にした瞬間に、「対価」という概念も出てくるので、コスト意識が出て苦しいコミュニケーションも発生してくるでしょう。
だから、グループコーチングも含めて、営利のコーチングは当然あって良いと思っていますが、案外力を発揮するのは、コーチングの要素を分解した上で地域社会など公共的なところにも適用すると、明るくてあたたかい社会を作っていくんじゃないかなと、常々考えています。
そこに居る人がちゃんと尊重されて、良いコミュニケーションを作っていくこと。さっきのコアコンピテンシーの精神「今ここにあり続ける」という事に、結局は戻ると思うんです。コーチングは、Beingに関わることを聴いてくれて考える、という部分が僕は良いところだと思っています。どんな形であっても一人ひとりのいまの気持ちや本当にありたい姿を尊重し、心理的安全性がある環境で、「今のままでいいから。先の事はともかく、話しを始めようか。」っていうような。そこから始められるのは、コーチングで学んだスキルと経験を活きているからだと思っています